本当に好きなのかな?

誰しも一度は経験があると思うけれど、好きだと思っていたのに、ふと疑問を抱くことがある。今までずっと好きだと思っていたけれど、ちょっと現場(?)を離れて冷静に考えてみると、実はそれほど好きじゃなかったり・・・人間は移り気なのかもしれません。

まぁ、自分の場合はそんなピンクな話ではありませんが。

最近よく思うのが、自分は日本史が本当に好きなのかということ。この文章を読んで色恋沙汰を期待した人はごめんなさい。

小学生の頃、中学受験を志し(というか強制されて)、そこから始まった日本史の勉強。その頃から大好きだった。キッカケは日本の歴史の漫画。藤山君とはよく話すけれど、台詞を覚えるほどに読んだ。当時はよくわかってなかったけど、昔あった出来事を学ぶことが出来ることに興味を抱いていたのだと思う。好きだったから一生懸命勉強して、偏差値は四谷大塚でトップレベルだった。その反面好きじゃなかった理科は偏差値40切るくらい。ひどいときは32とかでした。

デフレスパイラルというものがあるが、それが良い方向に作用したのが日本史で、そのまま作用してしまったのが理科だと思う。つまり

日本史って面白い!

 ↓

よし、勉強しよう!

 ↓

点が取れる!

 ↓

好き!

 ↓

日本史って面白い!!

 ↓

(以下同文)

悪いことじゃない。面白かったり好きだったりするから頑張るのは当たり前だ。それで成績が上がれば万々歳だ。

だが、ここには大きな欠点がある。それは、「点が取れる」という過程だ。もしかして、自分はこの過程に騙され続けてきたんじゃないだろうか。ふとそう思い、不安になる。いや、騙されたという言い方は間違っているかもしれない。自ら、無意識のうちに自分自身を騙してきたんじゃないだろうか。

「日本史が好きだから点が取れる」というのと、「点が取れるから日本史が好き」というのでは、話が違う。目的が結果を生み、だからこそ価値があるのであって、結果ありきの目的には価値がない。

もしかしたら、もっと違う話なのかもしれない。大学の授業を受けていて、面白いと感じられるのが非常に少ない。一年次は(二年次になったら専門科目が増えて楽しくなるぞ)と思っていたが、実際はそうでもない。あまりにミクロな視点の科目が多いからだ。自分は、特定の人物や遺跡などを学びたいのではない。全体史が学びたいのだ。もっとマクロな視点の科目を学びたい。

だから史料を読んだりするのは好きではない。実際に、学んだものを目にすると感動するが、しかしその解読までしようとは思わない。あくまで全体を把握し、理解することを求めている。

だから、大学の授業に面白みを感じないのは、日本史が好きかどうかというよりも、学んでいる内容に問題があるのかもしれない。しかし、そのどちらかはわからないし、もしかしたら両方違うかもしれない。結局何もわからずじまいだ。

ただ、状況はもう後退を許さないところまで来ている。一体これからどうしていくのやら。。。不安です。