愛国心教育なんていらない。

さて、3月27日から昨日までにわたる長々としたオーストリアへの旅を終え、ついに帰国してまいりました。自分の叔父が外交官としてオーストリアに赴任しているので、そこにお邪魔させてもらったわけですが、これが実に窮屈だった。そして日本の良さを今までとは違った角度から見ることが出来ました。

今回は父方の祖母・同い年の従兄弟・叔父と滞在することになった。叔父は経歴や教養などでは非常に尊敬出来るのだが、どうも性格に問題があるので、結構心配だった。その心配は見事に的中し、「旅行」とはなりえなかった。細かいところは省くが、叔父と祖母の対立が大いに問題で、それのとばっちりを受けた感じだ。祖母はそろそろ80になろうとする老体だが、いまだに病気などもせず(それでも膝が痛むようだが)、結構元気だ。ただ戦前の人なので、男性に対して(この場合は叔父に対して)譲る節がある。それでいて叔父は自信の塊のような人なので、他を使用人のように使うこともたびたびあるし、横柄な態度を取りがちだ。今回もわざわざ手持ちでめんつゆやカップ麺、カレー粉などを持って行かされた。

そういった人間関係上の問題はあったが、初めてのヨーロッパ。日程上かなりの不都合があると言っても(バイトや科目登録など)、それなりに楽しみになるものだ。日本人なら誰でもヨーロッパに対して憧れを一度は抱くものではないだろうか。日本の無秩序な建築事情とは異なり、古来からの歴史を踏みにじることなく残っている街並みとそれに上手く調和してっ発展してきた西洋科学の見事な組み合わせなどは、発展途上のアジアや歴史の浅いアメリカには望めないものだ。

今回はオーストリアへの旅とは言え、祖母のこともあって滞在はウィーンに限定された。19世紀には大国であったオーストリアハンガリー二重帝国も、20世紀に没落し、その影響あってか首都ウィーンは音楽関係では今でも高名があるものの、経済や政治の中心都市ではない。つまりその知名度ほどには大きな街ではないということだ。聴いたところによると、ウィーンの人口は160万人足らずだそうだ。ウィーンの範囲が曖昧なので、なんとも言いがたいが横浜市の人口の半分である(広さが違うので一概には比較できない)。

しかし、やはり目を見張るものばかりだ。何と言っても統一された感じの街並みに驚かされる。もちろん、郊外に離れればそうも言ってられないのだが、京都以上の歴史と現代文明の統一感がある。最近になって建築したものもわざと19世紀風にしているのかどうかは定かではないが、中心街の建物ほぼ全てが19世紀(あるいは18世紀)風のものであった。その建物の中に高級ブランド店やインテリアショップなどが間借りするのだ。

日本でこれに相当する都市は京都以外にありえないと考える(違うかもしれない)。その教徒では景観を損なわないためにマクドナルドの赤を茶色に変えさせているという話は有名だ。しかしウィーンはそれどころではなかった。赤すらないのだ。それが法律によって制限されているかどうかはわからないが、灰色の建築物の中に赤のマクドナルドがあったら明らかに異様であるし、似合わない。世界的大企業のトレードカラーですら制限している(あるいは自然にそうなっている)という姿勢には見習うべきものがあるだろう。

次に興味が湧くのは歴史的建造物だ。世界史は残念ながら受験のときに選択していなかったので、中学から高校一年までの数少ない知識で対応するしかなかった。オーストリアと言えばウィーン会議メッテルニッヒくらいしか思いつかないので、その知識は役に立つことはなかった。

それはともかくウィーン周辺で有名な歴史物と言えば、一番大きいと思うのがシェーンブルン宮殿である。皇帝フランツ・ヨーゼフとシシィと呼ばれる皇后が有名らしい。特にシシィの方がオーストリアの国民的人気のようだ。当時のオーストリア一の美人と言われたそうだが、中身はそうではなかったようだ。シェーンブルン宮殿はフランスのヴェルサイユ宮殿に対抗して建設されたもので、それだけあって宮殿内の装飾も、庭も西洋的で素晴らしかった。自分としては東洋の、特に日本の落ち着き払った仏教文化の方が好きなのだが、西洋の良さはそれはそれで良い物だった。ただ華やか過ぎて全く落ち着かない。それは個人の好み次第だろう。

そのほかにはシュテファン大寺院やベルベデーレ宮殿などもあるが、やはり本質は変わらない。豪華さが際立っている。さすがに教会や大寺院には華やかな明かりはなく、荘厳な雰囲気なのだが、壁の彫刻や説教壇の作りの細かさには舌を巻く。

文字でいくら書いたとしても、それを再現することは到底出来ない。それは写真でも同じことだ。その瞬間瞬間の雰囲気を感じるままに再現できない。だからこうして書くこともあまり意味がないかもしれない。やはり現地で五感で感じることが大切だ。

あとの問題はやはり言語の問題だ。日本語など通じるわけがない。五つ星ホテルですら日本語対応しているところはあまり多くはない。ましてや庶民用のスーパーなど言うまでもない。オーストリアはドイツ語圏である。生憎自分は第二外国語朝鮮語を選択し、従兄弟は取っていなかった。仮にドイツ語を学んでいたとして、理解して会話できるかといわれれば無理な話かもしれないが。旅行本の代表である「地球の歩き方」には大抵の場所で英語が通じると書いているが、実際はそうでもない。観光地や高級店では通じるが、その他の場所では半々くらいだ。日本に比べれば大したものだと言えるかもしれないが、それはちょっとお門違いだ。

そもそも自分は英語が出来るくちではない。従兄弟は自分以上に英語が出来ない。となると困ったことになる。ホテル滞在ならば食事などは心配しなくて良いが、自宅(?)だと炊事の必要があるため自分達で買い物に行かなくてはいけないのだ。さらに悪いことに日本のスーパーのように肉などが最初から切り分けられていない。店員に頼んで必要な分だけ切ってもらうのだ。つまり、会話を避けることは出来ないのである。そして英語は中々通じないと来ている。

ただ幸運なことに、運命の初日は肉売り場に黒人の女性が働いていた。彼女は英語が話せた。おかげでカレーにどの肉を買ったら良いのか、どれほど買ったら良いのかを教えてもらえた。これが英語が話せない人だったら次から買い物に行くのが怖くて仕方なかっただろう。黒人の女神とは何だか変ではあるが、あの時は本当に女神であり救いだった。

何とか自分の意思を伝えることは出来た。しかし聞き取りが難しい。あんまりわからないのに適当に頷いてしまうことが多々あった。帰ったら英語の勉強をしようと強く思った。やはり英語力は必要だなと痛感した。

そんなこんなで2週間弱、ウィーンに滞在した。学ぶべきものはたくさんあった。旅行というものは単なる娯楽ではなく、人生の勉強と捉えることも出来ることに気がついた。それでだけでも十分な収穫だったと思う。これからも国内外を問わず、多くの地に旅行していきたいと思う。冬にはどこに行きましょうかね?