社会学的(?)視点

この前、1限の朝鮮語が終わってしばらく暇だったので、数少ない友達の中の一人と大学近くのモスにかなり早めの(このとき10時半頃)昼食を食べに行った。彼は大学で出会った人の中で一番勤勉で真面目で、それでいて社交的という目標にしたい人No.1だ。彼はマスコミ志望らしく、来年は社会学専修に進もうとしている。社会学専修は倍率が他の専修に比べて圧倒的に高いけれど、きっと彼の成績なら大丈夫でしょう。

その日にしゃべった内容は、「社会学って何?」ということについてだった。無知な自分がただ質問して返事を感心しながら聞いているだけだったので、「しゃべった」と言えるかどうか微妙だけど、非常に興味深い話だった。その中のひとつをちょっと記してみようと思う。テーマは

なぜ男性はスカートをはかないのか?

ここまで聞いた時点で、「いや、そりゃ見た目的に明らかに変だろ」と思う人がいるかもしれないが、ちょっとそれは理解不足、あるいは思考不足だ。極端に割り切ってしまえば、慣習的に、スカートは女性の着るもの、ズボンは男性の着るものだ。スコットランドは慣習的にもちょっと違うけど。現代では、女性もズボンをはく。制服だと女性のズボンを認めることは少ないが、学校を出れば誰でも着ることはある。むしろ、スカートが嫌いな女性もいることだろう。しかし、それに対して男性は絶対に(と言ってもいいほど)スカートをはくことはない。「日本にはチラリズムという文化があって、男性がそんなことやっても気持ち悪いからだ」と言われるかもしれないが、それはちょっと趣旨が違う。伝統的にどうこうというよりも、現代の男性がスカートをはかないことを問題にしているのだ。では、そのひとつの答えを紹介しよう。

近代まで、女性は男性に従属する存在であった。少なくとも、地位的には男性の方が上であった。それが第二次大戦前後から、男女平等の観念が、少なくとも現在の先進国の間では、広まっていく。日本でも制度上は現行の憲法が施行されて、男女平等の社会になった。もちろん、現在でも男女の格差がなくなったなんて言えはしないが、今はそのことは大切ではない。名目的にしろ、男女平等が広まっている社会において、なぜ服装に違いが出てくるかといえば、それは無意識の意識の上での男女の格差に起因している。女性には抵抗があるだろうが、女性の地位が男性よりも低いと仮定しよう。実際に図にしてもらうとわかりやすいだろう。

その仮定の上では、女性の地位は男性よりも低いので、女性が男性の着るものであるズボンをはくことは、社会的に高い地位に到達しようとしていることになる。背伸びしているのだ。男性は「女性を自分より地位は下だ」と思っているので(現代人の多くは違うだろうが)、地位を高めようと努力する女性を認める。

しかし、その仮定の上で、男性が女性の着るものであるスカートを身につけるというのはどういうことになるかを考えてもらえば、わかるのではないか。つまり、スカートは地位の低い女性の着るものである。それを男性が着てしまったら、降格することになるというのはわかるだろうか。昇格は認めても降格は絶対に許されないのである。だから、見た目がどうこうとかではなく、地位の問題である。

多くの人はそんなことを気にもかけていない。だが、無意識のうちに、そして集団的に「男性がスカートをはくのは変だ」という空気が生まれるのは、いまだに男女間の格差があることの証明である。それが無意識であるがゆえに、罪が問われることはないが、だからこそより深刻な問題となる。女性の社会進出が騒がれて、男性は「男女間の不平等なんてない、むしろ女性に有利な社会になっているんだ」といった風に思う人もいるだろう。しかし、無意識の上での社会では、全くそんなことはないのである。もしかしたら、その無意識の意識は本能的なものなのかもしれない。だが、それを理由にしていたら、いつまで経っても真の男女平等社会というものは誕生しないのではないだろうか。

だいぶ機嫌を悪くした人もいるかもしれない。まぁ、ここまで読んだ人もいないとは思うけれど、これは聞いた話を書いたに過ぎないので、怒らないでください。ただ納得できる(もちろん自分自身は男女平等を願っていますが)ものだったので、最後の方は自分の意見を交えて書いてみました。ちょっと社会学も面白そうだと思いました。