今日は何の日??

今日はどうもハロウィンの日らしい。ハロウィンとは欧米の文化の一つで、子供が仮装して近所の大人たちからお菓子をもらうという行事だ(たぶん)。日本人はそのほとんどが基本的に無宗教ということもあって、海外の宗教文化を取り入れることに特に抵抗を感じることはないが、しかし、ここでもやはり開闢以来日本は欧米先進国の呪縛に囚われていることが見て取れると思う。海外の行事で日本に取り入れられた代表的なものは、何と言ってもクリスマスだろう。クリスマスはキリストの生誕を祝うための行事だが、日本人の中で本気でキリストの生誕を祝う人なんていない。ほとんどが恋人とどこかに出かけるとかそういうことで頭は占められる。他には何があるかといえば、バレンタインデーだろう。これは元々は聖バレンタイン卿が惨殺された日という非常に恐ろしいはずの行事なのだが、何故か非常に前向きなものに変わっている。チョコレートを渡すというのはチョコレート企業の戦略であって、女子から男子へという構造も日本など数カ国にとどまり、他の国では男女を問わない、あるいはチョコレートなど全く関係ないというところもあるという。ほかに何があるだろうか。自分には思いつかない。たった2例しかないが、この共通点は、キリスト教関係の行事であるということだ。仏教と神道を除いて、決して他の宗教からこれほどの国民的大行事が生まれることはなかったし、これからもないだろう。それは文化的進化の差(決して優劣ではない)や経済的格差が関連してくると考える。「日本人は無宗教だから他の宗教行事を受け入れやすい」というほど単純なことではない。それならば全国的にラマダンがあったって良いはずだ。ラマダンのきつさや経済的不効率を考えると当然日本では実現不可能なことはわかっているので、あくまでラマダンは極例であるが、我々はイスラム教やユダヤ教などの大宗教、更には仏教や神道にすら興味を向けない。だからキリスト教以外の宗教的大行事と言えば、普通の人はラマダンくらいしか頭に浮かばないのである。ではなぜ、キリスト教は日本人にとって特別な存在なのか。それはヨーロッパ・アメリカの宗教だからだ。日本人はこの日本の豊かな暮らしに満足しながらも、心のどこかで欧米に憧れを抱く人は多い。彼ら欧米人は肌が白く、スタイルも他の人種よりも良く、そして経済的レベルでは日本に引けを取らない豊かさを享受している。そして歴史的に世界の支配者であった時期が長かった上に、戦前の日本人には「欧米に追いつけ追い越せ」という標語があったように、欧米は倒すべき対象であると同時に目標でもあった。この平和な時代にはその目標としての欧米のみが残ったために、日本人は欧米に憧れを抱く。同じ理由で、経済的に日本に劣るアジア・アフリカの文化には一時的に興味を向けても、恒久的な興味にはなりえないのである。イメージ的に欧米の文化や宗教は輝いて見え、その他の地域の文化や宗教にはどこかしら遅れや色褪せを無意識のうちに感じているのではないだろうか。と長々と無駄なことを考えてみた。