いるかいないかわからないから怖いんじゃないか!

夏ももうそろそろ終わりを告げる頃になってきたが、夏と言えば怪談だ。自分はそういう怪談話やホラー映画は大嫌いだ。なぜなら純粋に怖いから。遊園地のお化け屋敷だって行ったことないし、怖い映画なんて小学校のときに見た『学校の怪談2』くらいだ。従姉妹とそんな話をしていたら「男の人でそういうの怖いって言う人初めて見たよ」と言い放たれたけれども、もっと隠れ怖がりはいるはずだ。隠れ怖がりがいようがいまいがどうでもいいけれど、ではなぜ幽霊は、現実世界で普通に生きている限りほとんど何もしないのに、恐ろしいものなのか考えてみた。一番の理由は、やはり姿が見えないことであり、存在が確認できないことだと思う。もし幽霊の存在が確認できたとしたら、その恐ろしさは半減どころか、失墜すると言っても良いだろう。(幽霊なんていないさ!)と強がっていても、心の片隅で(でも、もしいたらどうしよう…)と考えている。そのかすかな心配、心のわだかまりが恐ろしさの温床となっている。こういう話に似ていると思う。誰もが嫌うゴキブリが部屋にいるとする。ゴキブリが部屋に現れたとき、大抵人は驚いて、何らかの方法で退治しようとするだろう。そこで退治できれば問題はないが、もし退治することが出来ずにタンスの裏などに逃げ込まれてしまった場合、どう感じるだろうか。タンスの裏に逃げられたら、退治しようとしてとりあえずそこにスプレーを吹きかけるだろう。でも、それでゴキブリが死んだ保障はどこにもない。(きっと死んだだろう)と思っていながら、(生きていたらどうしよう)と心配になると思う。そのときの気持ちは、ただ純粋にゴキブリが見える範囲で部屋の中を駆けずり回っているときよりも、余程嫌な感じだと思う。姿が見えていれば、そこに注意を向けて、退治すればいいだけの話だ。気持ち悪いかもしれないが、それだけで済む。だが、逃げ込まれて生死が確認できないときには、ゴキブリがいつ出てくるかわからない状況下でずっと警戒を続けなければならないし、おちおち寝ていられないだろう。幽霊もそれと同じだ。存在しないことがわかれば一番いいのだが、仮に存在が確認できたとしたら、原因不明の出来事も、幽霊の仕業だとすることができるために、精神的には楽になると思う。なぜ幽霊は恐ろしいのか、それは人間の目や現在の科学力では確認できない存在であり、そして今でも幽霊の存在を否定する勢力と肯定する勢力の張り合いが拮抗しているからである、と考える。