18日間

こんばんは、そしてお久しぶりです。本当に久々にパソコンの前に座っています。右上に閉じるボタンがあるのはちょっと気になりますが、まぁたいしたことではありません。こうして文章が打てるなら、全然問題ではないのです。

これまで何をしていたのかというと、北海道を一人で回っていました。自転車で、です。行こうと思ったきっかけはたいしたことではなく、単純に学生らしいことをしてみたいということでした。愚かにも、学部時代には長い休みの貴重さがわからず、バイトに明け暮れていました。それで九月にちょっと旅行に行く。それも長くて3泊くらいです。

去年、自分は大学院に進学することを決め、同居人を始めとする近しい友達は就職活動をしていました。このときになって初めて、自分はもうすぐ働くのだということを明確に意識しました。あまり会ってはいませんが、高校の同級生はほとんど働いています。彼らはもう退職するまで1ヶ月も2ヶ月も休みをもらえることなどないのだと、ようやくわかったのです。

そんな中で、自分の学部時代の休みを改めて見直すと、10年20年後、あるいは50年後になって自分の大学時代を振り返ったときに、何も思い返すことがないのではないかと不安になりました。「大学のときにはこれをやったんだ」というはっきりとした思い出がなく、ただ単に社会に出るまでのモラトリアムとして時間が過ぎるままにすごしていたことになってしまう。それではあまりに悲しすぎると思いました。

だから、思い出になることならば何でも良かったのです。そこでぱっと思いついたのが自転車での長距離旅行でした。1ヶ月くらい普段自分が関わっていることからまるっきり離れて、自分のことを誰も知らないところで過ごしたらどうだろうか、そう思ったのです。就職するための準備期間としてただ忙しくすごすのだけは嫌でした。もし、これで就職に苦労することになったとしても、それは仕方のないことです。今しかできないことをやりたかった。

本当は勉強をしなければなりませんでした。大学院に入って、自分が如何に勉強が出来ないかを痛感していたので、夏休みは必死になって勉強して、後期からの授業に少しでも食らいついていけるようにならなければならなかったはずです。院生の夏休みは勉強するためにこそあるのですから。自分の研究も進める必要がありました。

それでも、後悔しないためにはそれも諦めなければなりませんでした。学生の本分から外れていることはわかっています。もしかしたら親に迷惑をかけて修士3年目を迎えることになるやもしれません。それも覚悟の上です。

そんなわけで、人生単位で今を考えたときに、決して後悔することの無いようにしようと思って過ごしたのが今年の9月でした。だから、決して安易な気持ちで出かけたわけではないのです。その責任を全て一人で引き受ける覚悟をして過ごしたのです。そうして今、ほとんどの旅の日程を終えてホテルの机に向かっています。今日は北海道を旅行をしていて感じたことと大体の日程をまとめておきたいと思います。まずは日程から。

北海道に入ったのは9月8日の朝でした。前日夜に八戸をフェリーで出発し、朝8時に苫小牧に着いたのです。そこから毎日どこに泊まったのかということと走行距離を一気にまとめます。

苫小牧
 ↓ 70キロ
札 幌(ホテル)
 ↓ 140キロ
留 萌(キャンプ)
 ↓ 90キロ
遠別町(民家)
 ↓ 90キロ
稚 内(ホテル)
 ↓ 120キロ
枝 幸(キャンプ)
 ↓ 130キロ
上湧別(キャンプ)
 ↓ 80キロ
網 走(キャンプ)
 ↓ 110キロ
尾岱沼(キャンプ)
 ↓ 115キロ
根 室(ライダーハウス)
 ↓ 125キロ
釧 路(ホテル)
 ↓ 0キロ
釧路泊(ホテル)
 ↓ 125キロ
忠 類(キャンプ)
 ↓ 165キロ
静 内(キャンプ)
 ↓ 110キロ
千 歳(ライダーハウス)
 ↓ 80キロ
小 樽(ライダーハウス)
 ↓ 110キロ
洞爺湖(キャンプ)
 ↓ 110キロ
 森 (キャンプ)
 ↓ 110キロ
函 館(ホテル)

といった感じです。積丹半島の方と室蘭の方には残念ながら行っていないのですが、ほぼ北海道一周です。だいたい2000キロくらいでしょうか。本州を走っていた分を含めると、走行距離は全部で2700キロになります。さっき調べたら、高速道路を使った場合、稚内から鹿児島まで到着できる距離です。この点に関しては、我ながらがんばったと思います。

ちなみに宿泊に関してですが、遠別町の「民家」となっているのは、銭湯で出会った見ず知らずの方の家に好意で泊まらせていただいたということです。まさか本当にこんなことがあるなんて思っていなかったので、驚きの体験でした。あとは普通です。ライダーハウスというのは北海道に入ってから知ったのですが、大体どこでも1000円くらいで泊まれるライダーのための宿泊施設で、大部屋にみんなで寝るといったタイプのものです。

よく、自転車での旅行は「自分探し」などといわれますが、そんなことは正直出来ないと思います。毎日必死です。ペダルをこいでいるだけで精一杯です。自分探しをするならば徒歩旅をするか、徒歩と何らかの移動手段を組み合わせたほうが良いでしょう。思ったよりもはるかに考える時間はありませんでした。

それでも、何となくですが、いくつか大切なことに触れられたような気がします。まだ上手く文字に出来るほどにまとまっていないのですが、書いているうちにまとめることが出来るかもしれません。思いつくままに、書くことにします。

一番大きかったのは、人の好意(厚意?)に恵まれたことです。これは本当に恵まれたと思います。先ほど少し書いたように、旅の途中で会った方の家に泊めていただいたのを始めとして、いろいろなところで優しい言葉をかけていただいたり、本当に何かをいただいてしまったりしました。

遠別町でその方に出会ったのはほんの偶然でした。その日は海岸線を走っていたのですが、たまたま強い向かい風で、本来ならば120キロ進んで手塩町に入るところが、全然進まずに30キロ手前の遠別町になってしまったのです。遠別町は小さな町で、キャンプ場が二つもあるのに、コインランドリーは無く、温泉どころか銭湯も無くて、地域の老人福祉センターで風呂のサービスがあるだけでした。

向かい風に身も心も疲れ果ててしまい、テントを張ってしばらく休んでから福祉センターの風呂に向かいました。本当に小さな湯船で大人が4人も入れば狭くなってしまうくらいでしたが、風呂に入れるだけで十分ありがたく、いつもよりもゆっくりと湯船に使っていました。先客は2人いて、特に何も話すことなく先に上がられました。

その後に入ってきたのが泊めていただくことになるその人です。そのとき僕はたまたま近いのに福祉センターまで自転車で行っていました。それを見てわかったのでしょう、「兄ちゃん、自転車かい?」と声をかけられました。これまで一週間ほど自転車で走ってきましたが、それまではずっとホテルに泊まっていたので、知らない方とまともに話をするのはこれが初めてでした。

とても気さくな方で、知らない人との会話が苦手な僕もよく喋りました。そこでその方が50年前の早稲田出身の方であること(エチオピアを知っていました!)、大倉山(実家の隣の駅です)に息子さんが住んでいることなどをお聞きして、お互い驚きました。その日は夜になっても風が強かったので、「今日はキャンプです」と話すと、とても心配してくれて、「うちに泊まりに来い」と言ってくださいました。

最初は迷惑ではないかと遠慮していたのですが、最終的にお邪魔することにしました。正直、風が強く真っ暗なキャンプ場で一人で過ごすのは心細かったのです。それに東京を出て以来、あまり人と喋っていなかったので、人恋しくもありました。近くで商店を営んでいらっしゃって、これまでになんと100人くらいの旅の学生を泊めたことがあるそうです。

奥さんも大変喜んで歓迎してくださって、夕飯をご馳走になってしまいました。肉に魚に野菜にと、北海道の幸のオンパレードでした。あまりの豪華さに恐縮してしまいましたが、「疲れているんだろうからどんどん食べなさい」といって、食べきれないほど用意してくださいました。そのときに食べたカボチャの美味しさはこれまで経験したことの無いものでした。

会話も弾み、遠別町での生活がどのようなものなのか、今の早稲田周辺はどうなっているのか、大学院で何を研究しているのか、息子さんたちは何をしているのか・・・いろいろなことを話しました。年齢は50年も離れていて、その日会ったばかりなのにこれほど自然に、親しく話せるとは思ってもみませんでした。

その日は22時には寝てしまい、翌日は6時半くらいに起きて布団をたたんで階下に向かうと、朝ごはんの用意をしてくださいました。朝から豪勢です。正直に驚いていると、「これが普通の朝ごはんだ」と笑っていっていました。ごはん、焼き魚、魚の味噌汁、漬物、玉子焼き、トマトにヨーグルトをかけたもの。ずうずうしい話ですが、ごはんを2杯もおかわりしてしまいました。

奥さんが何か準備をしているので、どうしたのかなと思っていたら、お弁当を用意してくださっていました。それも半端な量ではありません。おにぎり3個に玉子焼き。普通ならこれで十分昼ごはんになります。それだけでなく、お稲荷さんを8個、さらにトマトを5個に、バナナを持たせていただきました。

あまりの優しさに恐縮してしまい、何度もお礼を言うと「そんなに頭を下げなくて良いから」と笑っていました。しかし、頭など何度下げても感謝の気持ちを表すには足りません。無事東京に帰ったら必ずお礼の手紙を出そうと、別れ際に住所をいただきました。見ず知らずの他人に、ここまでしてくださる方がいるということを初めて知りました。

こんな経験は、東京に居たら絶対に出来ません。知らない人に優しくすることなど自分も全然無いのですから。他人は自分の人生に関わりの無い存在で、優しくする意味が無い。それくらいに考えていたかも知れません。でも、そんなことは無かった。その日たまたま会った50歳年下の学生に、ここまで優しくしてくださる方が居たのです。

ほかにも、たくさんの方の親切に支えられて進んできました。道の駅で会って、ポットのコーヒーをご馳走してくださったご夫婦、トマトやバナナを「美味しいからこれ食べて頑張りな!」と下さった道の駅のおばちゃん、「内緒だよ」とキャンプ代をまけてくれただけでなく敷物まで用意してくれたキャンプ場の管理人さん、道で「頑張ってー!」と手を振ってくれた小学生の男の子。その度に走って疲れて眉間に皺がよっていた自分は、自然と笑顔になりました。

世界の真理だとか、自分の生きる道だとかを見つけられたわけではありません。しかし、人から優しくされるという一見当たり前の経験が、一番印象に残り、少し自分を変えてくれたと思います。もっと人を信じても良いんだと思うようになりました。人にとって大切なことは、ビジネスの世界で才覚を発揮して存分に活躍することだけではなく、もっと身近にもたくさんあるのだとわかりました。

わかったことはとてもシンプルです。決して難しいことではない。しかし、これまでそのシンプルなことが自分には出来ていなかったのも確かです。狭い自分の世界に閉じこもって、自分の利害に関わりの無い世界に無関心でいたと思います。それでは人間の良さがわからない。少しでも良いから優しくなろうと決めました。

そんな感じです。やはり上手く言葉には出来ません。直接の経験そのものが大切だからなのだと思います。今日は疲れたのでここまで。また今度、東京に帰ったら振り返ってみたいと思います。