文部科学省学力低下認識についての考察

文部科学省が、高校授業の復習を行う大学に対して、補助金を交付することを決定したという。有識者会議の審査を通れば、年間2000万円以内で補助金が交付される仕組みだ。大学の経営と言う観点からすれば、年間2000万円の補助金はスズメの涙かもしれないが、文科省が払う合計補助金額はかなりの額に上ることになるだろう。

学力低下が懸念されている中で、その打開に必死になるのは理解できる。しかし、あまりに道理に外れてはいないだろうか。記事では、大学関係者の「高校の授業内容の理解が乏しいため大学の専門教育についていけない学生が増えてきた」とのコメントがあったが、だからといって大学で高校の授業範囲の復習を行う必要などあるはずもない。

大学というのは、原則として試験を経て入学することになっている。では入学試験は何のために行うのか。それは大学の専門的な学問内容に遅れることのないだけの基本的知識の定着度を計るためではないのか。高校の課程を(名目だけでも)修了したからこそ大学に入学できるはずである。それが身についていない学生に入学を許可したのは誰なのか、その責任はどこにあるのかなど考えなくてもわかる。

問題は大学生の学力レベルが低下したことではない。「大学全入」の時代の流れに問題があるのだ。もちろん、誰にでも学問の扉は開かれていなければならない。学びたいと思う人間の意思が妨げられるようなことがあってはならない。しかし、それは必ずしも大学である必要は無いのだ。インターネットが発達したこの時代、あるいは塾など(カルチャースクールなどを含む)が溢れている現代で、「正統な」学問の場である大学を選ぶ必要など無い。

「大学全入」とは、本来であるならば「大学生」と名乗るべきではない人間まで「大学生」と呼ぶことにしているに過ぎない。「高等教育の充実だ」などと決して喜べるような状態ではないのである。本来ならば、当の昔に廃校になってしかるべき大学が数多く「生き残って」いるだけなのだから。

高校以下の学校において、競争原理に基づく教育を導入しようとの流れが加速しているのに対し、大学の生存競争に対してはいつまでも補助金というカンフル剤を打ち続けている。定員割れの大学は、企業でいえば赤字の企業だ。企業であったなら、赤字が続けば倒産するのは当然の理だ。それが、教育は「聖域」だからいつまでも救済措置が講じられてきている。

「大学生」と呼ぶに値しない「大学生」を量産し続けているのは、この文部科学省補助金なのだ。言ってみれば、学力低下の責任は文部科学省補助金の運用の仕方にあるともいえる。義務教育段階の教育内容にではなく、大学の生存競争にこそ市場原理と競争原理を導入すべきなのだ。

そうすると「大学生」になりたい人もなれなくなってしまうではないか、といわれるかもしれない。しかし、大学は義務教育ではない。大学で高等教育を受けたいのであれば、それ相応の努力をすべきなのだ。努力もしないで名前だけの「大学生」になりたい、という愚かしい願いを無条件に受け入れてきたからこそ今の大学生の「学力低下」があるのではないのか。

あるいは、大学がつぶれたらそこに入学した生徒はどうなるのか、といわれるかもしれない。それも問題の無いことだ。そもそもその大学を選んだのは誰なのか。また、企業がつぶれて路頭に迷う人が出てきたときに国や社会は何が何でも救おうとしてきたのか。大学がつぶれて、その学生が路頭に迷ったとしても、全てはその学生の責任なのだ。それが恐かったら、努力してつぶれる心配の無い大学に入るべきなのだ。

大学と呼べないような大学に補助金を投下するくらいならば、高校以下の「義務教育」(高校は事実上義務教育化している)にもっと重点的に資金を割り振って欲しい。あるいは本当の「高等教育」と呼ぶことの出来る大学にもっと補助金を出して欲しい。やるべきことは高校までの学生の学力向上と真の高等教育の発展であって、偽者の高等教育の拡充・延命ではない。




現在のこのような教育の「不況」は、第一次大戦後の日本の経済状態と重なっているように思える。第一次世界大戦期、日本は空前の「大戦景気」に湧いた。重化学工業を中心とする工業は飛躍的に発展し、日本は農業国から工業国へと転じた。その中で造船業や鉄鋼業はヨーロッパ連合国に対する輸出で引っ張りダコとなり、「船成金」「鉄成金」が誕生した。

彼ら「成金」はあまりに急速に拡大し、一時期は三井や三菱などの財閥をしのぐほどの勢いであった。しかし、それは実体の無い企業の拡大であり、大戦景気の終焉、その後相次いだ恐慌によって急速に業績が悪化してゆく。大戦景気から一転して、戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌と日本は恐慌に襲われ、慢性的な不況状態にあった。

しかし、第一次大戦中に成長した企業は、政府・日銀からの融資を受けてその命をつないでいた。確かに、それらの「成金」系「大企業」が倒産すれば、銀行界をはじめとする日本経済に甚大な被害を与えることになるのだから、融資し続けることがとりあえず安心できる政策だった。

ただし、不良企業に対する融資は、結局、産業界の淘汰を押さえ込み、真の発展を妨げていたのである。そのために、当時の日本製品は完全に国際競争力を失ってしまっていた。当時の日本は輸出することなしに経済の安定などはありえなかったため、どこかで大手術を行い、産業界の膿を出し切る必要があったのである。つまり、デフレ政策の採用による企業の倒産がどうしても必要であった。

それを実行したのが浜口内閣である。浜口内閣は金解禁を実施するために、前段階としてデフレ政策を採用した。デフレ政策によって物価を引き下げ、産業合理化によって日本企業の国際競争力の強化を図った。しかし、当然ながらデフレ政策はかなりの数の企業を倒産させ、日本は、わかっていたことではあったが、激烈な不況に襲われた。さらに最悪なことに、当時は世界恐慌の真っ只中、どれほど産業合理化を推し進め、日本の国際競争力を高めようとも、外国がそれを受け入れる状態ではなかったのである。

浜口内閣のデフレ政策により、確かに日本の産業界は合理化が進み、国際競争力がついた。しかし、時期が悪かった。結局、国民は不況に耐えたにも関わらずいつまでたっても景気が良くならないのである。これではとても納得できない。そのせいもあり、ロンドン条約問題もあり、浜口首相は右翼の暴漢に狙撃され、結果として亡くなるのである。

その後、若槻内閣を経て、犬養毅内閣が成立し、高橋是清が蔵相に就任する。高橋蔵相は政友会の伝統に則り、積極政策を展開した。赤字国債を発行し、公共事業を拡大することで、日本経済に活気を与えようとしたのである。農村の復興にも積極的に取り組んだ結果、日本は列強の中で最も早く恐慌を脱出することとなる。

しかし、高橋財政の成功の下地には、浜口内閣期の産業合理化と国際競争力強化があったのだ。浜口内閣が産業合理化を進めて、国際競争力を強化していたからこそ、日本は不況から脱出できたのである。デフレ政策を恐れ、いつまでも不良企業に融資を続けていたら、日本の恐慌脱出はもっと遅れていたに違いない。



「伸びんとするものはまず屈せよ」とは浜口内閣のスローガンであったように思えるが、これは今の教育問題でも同じことが言える。高校までの学校は、必要であるにも関わらず、色々なものが不足している。大学以上の学校は、必ずしも必要ではないにも関わらず、席が余っている。まず屈することで、大学の淘汰を行わなければ、「大学生」の学力向上などはありえない。

そういった意味で、今回文部科学省は実に愚かしい選択を行ったといえる。ここにこそ、構造改革が必要なのだ。