モラトリアム2週間

本日は早大文研の一次試験だったわけです。大学院でも日本史を専攻したい自分としては、早稲田の院の中では第一志望。早稲田以外だと東大くらいしか考えていなかったのですが、正直東大は無理だろうということで、事実上の第一志望です。まぁ文キャンの雰囲気は好きだし、ここであと2年勉強できるというのは良いかもしれない。

とはいうものの、選ぶのはこちらではなくあくまで向こうさんの権利であるわけで・・・自分がどんなに第一志望ですと唱えても、一次試験を通らないことには意味が無い。夏休み、久々に必死になって勉強しました。でもやっぱり夏休みだけでは足りなかった様子・・・

英語がきつかった!大学受験時代の自分だったら恐らくそれなりに簡単に感じたことでしょうが、大学でぬるま湯につかっているうちに完全に英語力を喪失したようです。そしてさらに「評価は専門科目がとんでもなく重視されるに違いない」と勝手に決めつけ、日本史ばかりやっていたつけがきたようです。英語をまともに評価されたら受かるわけが無い・・・ううう・・・

それだけ、専門は良かったのが救いでした。自分としては最上の出来、ただし日本史学的にはそれほど良い出来ではないはず。だからこれで落ちたら自分の実力不足が原因なので、むしろすっきりするかもしれません。それくらいには書ききれたと思う。1200字論述はなかなかハードなもので、大学受験時代の筑波大学の日本史の400字が嘘のように短く感じられました。

しかも、字数指定しているのに、解答用紙は原稿用紙ではなく、ただの罫線が入った紙!だから自分で適当にマスを決めて平均25字で50行程度書かなければなりませんでした。結局、答案が完成したのは終了5分前。予定では15分余らせるはずだったから、相当焦りました。そのせいで他の問題に皺寄せが行って、津田梅子の説明は相当ダメダメでした。

友達と「落ちたらどうするよ?」みたいな話をしながら早稲田駅で別れ、電車を待っていると、意外な人に会いました。そう、教育実習でも一緒だった熊谷さんです。よくよく考えてみたら何も不思議なことはなく、文学研究科というマイナーな(会計研究科とか法学研究科に比べて実用性に薄いから)大学院を受験するといったら(しかも歴史学で)、むしろ会わないほうが不思議です。

英語どうだった?と訊いてみると、彼女も出来なかった様子で、何の意味も無いにも関わらず、お互いほっとしていました。あれは難しかった!去年は簡単だったくせに!高田馬場まで一緒して、自分は新宿に向かいました。頑張った自分へのご褒美で、ステンレスの食器置きを買おうと思ったのです。結局、無印良品でカーテンを買いました。これでついに部屋にカーテンが付いたのです!もうこれで電気工事のおじさんと目が合わなくて済むのです!

ところで、試験場で、教職大学院の集団面接で同じグループになった人に会いました。彼も自分と同じ日本史学希望だったので(しかも近現代だからかぶってる)、休み時間に自然に話しました。そこで僕は地雷を踏むことになるのです。

話の内容は当然ながら文研の問題について。あれはどうだ、これは何年だ、いやそれは違う・・・といった受験生らしい会話でしたが、自分も彼もいまいち自信がない様子。当然話題は「落ちたらどうする?」的な方向へと向かうわけです。そうでしょう?自信がなかったら落ちたときのことを考えるのが普通です。ましてや落ちたらニート街道まっしぐらの危機的状況にある自分達にとっては余計に心配事です。

先の教職大学院二次試験の合格発表を見てみると、8割方合格しているようでした。そのため、一次試験とあわせるとおよそ7割の合格率となります。集団面接で結構な失態を演じた自分が(積極性のアピールに失敗)合格していたのだから、彼も合格していたに違いないという勝手な予想が、一次試験の合格発表のときと同じように悲劇を生むのです。ああ、こんなこと言わなければ良かった!




「まぁ、俺は落ちたら教職大学院に行きますよ」(苦笑い的半笑いで)



「・・・・・・」




はい地雷踏んだ!はい死んだ!はい今君死んだよ!と一人で慌てていました。幸いにして彼は立ち去ってくれたので何とか危機を免れました。危なかった・・・もうちょっとでとんでもなく気まずい空気を味わうところだった。前回の清水の発言同様、言動には細心の注意を払わないといけませんね。



文研の発表は24日です。遅いよ!教職研究科も教育学研究科も3日程度で結果出すぞ!もっと急いでください!



ちなみに、二次試験の実施は来年の2月10日です。もし奇跡が起きて一次試験に受かってたら、2月まで生殺しです。しかもそれは日本史学選択者だけ、何だこれは。。。