給料日は土曜日!

今月の15日は、なんと土曜日!つまり、1日早い金曜日に給料が口座に振り込まれることになる。この季節の一日の差は非常に大きい。何とかその日までは食いつないでいかないといけない。頑張れ自分、あと8日だ!

たった一日を気にするくらいに金欠の毎日を送っているわけですが、それに反比例するように欲しいものは増えていくものです。それに出費も。きっと、何らかの精神的な法則があるに違いないと踏んでいます。あとは時間が無かったり・・・貧乏暇なしだった時代は本当に悲劇だったのだろうなぁ。

先日読んだ本が↓でした。

マルクスの『資本論』 (名著誕生)

マルクスの『資本論』 (名著誕生)

マルクス主義を理解するために買った本ですが、あまりマルクス主義自体には触れられていなかった。やはりマルクス主義を理解するためには『資本論』に直接触れなければならないのか・・・まぁ原書を読むことは理解するために必要なことではあるのですが、あのレベルの難しさで巻数が多いとどうもくじけてしまいそうです。

上の本に、マルクスを理解するにはヘーゲル弁証法(だったか?)が必要だと記載されていて、先にヘーゲルに触れるべしとのことでした。早速、生協に行ってヘーゲルの本または解説本を探してみました。確かにあります。文学部生協だけあって、哲学関連の書籍がある程度そろっています。専門的な本がそろっているのは嬉しいことです。小説などはあまりそろえが良くないけれど。

いや・・・それにしても高い。ヘーゲルの本が厚さ1.2mmくらいで1冊1500円くらい。それが上下あるので、合わせて3000円。生協組合員割引があるとしても2700円。カレーに換算すれば25杯分くらいです。つまり、10日近い食費に該当する額が一挙に消失することになるのです。それでもヘーゲルが理解できて、マルクスへの道へと通じるのであれば、決して高い値段ではないのですがここで大問題が。

恐らく、自分ではヘーゲルを理解できない、または誤解してしまう。歴史を追って哲学を学んでいるわけではないのだから、きっと直接原書に触れたりしたら逆に大変なことになる気がします。しかも、途中で投げ出しそう。クラウゼウィッツの『戦争論』も途中で投げ出してしまった自分に、哲学が理解できるかどうか、甚だ疑問です。あぁ、もっと真面目に倫理学とか哲学を受講すべきだった。。。

ところで、上の本の第六弾はクラウゼウィッツの『戦争論』らしいです。これは買わなくては。本棚の肥やしになった『戦争論』がもう一度日の目を見るために買わなくては。でも、それも1800円位するし・・・

本当ならばこういうところでお金を惜しみたくは無いのですが、やっぱり欲しいものは他にもありますし、妥協しつつ買い集めていくしかないのです。図書館を利用すべきなのでしょうが、どうもタダで手に入る本は「また借りればいいやー」となりがちなので、進みが遅い。買うことによって自らにプレッシャーをかけなければ勉強できないほどのダメ人間です。

ダメ人間といえば、今日ボーっと物事を考えていて、自分はなんと学者に向かない人間だろうかということに気が付きました。勉強は確かにしたいと思う。これは本心です。本とか論文とかを読んでもっと歴史や哲学に対する造詣を深めたい。見栄とかそういう部分ではなく、純粋に学問的な興味を満たしたいと思いました。そんな自分を客観的に眺めてみて(その時点で客観的ではないのだけれど)、意外と勉強好きなのかと気が付いたわけですが、学者的な勉強とは全然違う勉強の仕方を望んでいました。

どういうことかというと、本や論文を読んで、他の人の考えを知りたいと思うだけだったのです。つまり、先行研究を踏まえて新しい発見や解釈を導きたいわけではない。それを誰かに教えるための訓練をしたいに過ぎない。それは学者として全く素質が無い証拠です。一時期は大学院卒業後は大学に残って研究を続けようかなと考えていたのですが、それは本当にやめたほうが良さそうです。中高教員も自分の性格的に向いていないかもしれないと不安に思いますが、学者は心の底から無理だと感じました。熱意の無い人間に結果を生み出すことは出来ない。

大それた望みは抱かないように心がけているつもりですが、それでも何か実績を残したいと思う気持ちはいつもどこかに存在する。時々、そういった気持ちが溢れんばかりになって、目が輝くものですが一晩経てばまた死んだ魚の目に戻ります。目を輝かせ続けられる人だけが、実績を残すのです。残念ですが、研究に対する意欲的才能は自分の中に認められません。才能の無い分野を志すほど理想主義者でもありません。

ここで決して勘違いしてはならないのは、だから教員に逃げるんだというわけではないということです。いわゆる「デモシカ教師」というのを私は死ぬほど嫌悪しています。「デモシカ教師」とは上手く言ったもので、「教師に『でも』なるか」とか「教師『しか』なれない」という連中です。真剣に教師を目指す人間からすれば、迷惑以外何者でもない。もちろん、現場が熱血教師で占められても困るわけですが、熱意の欠片もない人間は、先ほど私が学者に向いていないのと同様に、向いていないのでしょう。その点は大丈夫です。心から教員志望です。

話がとんでもない方向に進んでいますが、こういうのが本来の日記というものなのでしょう。「徒然なるままに」とはこういう気分なのだと思います。とりあえず寸暇を惜しんで活動しなければ・・・ここのところ脱ニコに図らずも成功しているのは好ましい傾向です。この調子で脱まとめサイトを心がけ、最終的には解脱まで持っていこうと思います。

きっと、こんな風にだらだら考えて、書き綴ることが出来るのも学生のうちなのでしょう。そう考えると「社会出たくない・・・」という引きこもり精神が旺盛になってきます。正直、出来ることなら1年くらいはニートになりたい。積極的なニートになりたい。学んでいるからEducationalの項目は満たしているとはいえ、学校に通ってないからアウトかな。少し運動して、午前中はコーヒー片手に小説でも読んで、午後はランニングして、三時のおやつとコーヒーで、その後真面目に勉強して、夜も勉強。23時には寝床にいて、朝の小説の続きを読んで眠りに落ちる。なんて素晴らしい生活だろう。

とまぁ、妄想はその辺にしておかないと本物のひっきーになりそうです。やりたいことがあるならば、それに見合った努力をしないといけない。そのことは胸に刻んでおこうと思います。時間が欲しいのだったら真面目に単位を稼がないといけない。だから「大学なんて行っても意味無いから単位落としてもいいんだ」なんて詭弁です。意味は無いかもしれないけれど、学士の資格を取るに必要だとすれば、それは必要な単位です。意味と必要性は必ずしも一致しない。必要性は確保しなければいけません。

やけに勉強欲が強く表れていますが、これはきっとテスト前に掃除をしたくなる現象だと考えられます。春休みの二ヶ月にこの気持ちが続くかといわれれば、それは難しいでしょう。まぁそもそも春休みは院試対策で大忙しですが。あと卒論も考えないと。忙しすぎて泣けてきますが、ちょっと楽しいといえば楽しいです。ランナーズハイというものでしょうか。

まぁ、明日早いからゴミ出して寝ろという話です。なので、ゴミ出して寝ます。