死の予感

台風9号は何事もなかったかのように港北区を過ぎ去り、向かいの母校綱島小学校からは今日も変わらず休み時間を告げるチャイムが流れる。何人の小学生が台風による休校に期待しただろうか、見事にその期待は打ち砕かれたのだ。うるさくて眠れなかっただけの台風が恨めしい・・・

それにしても昨日の晩は怖かった。自分の部屋がいつの間にか実家から消滅していたので、やむなく畳の部屋で寝ているのだが、窓を叩く風の音の恐ろしいことと言ったらない。小さい頃に雷に感じた恐怖同様、強風、むしろ狂風の叫び声は自然と涼しくさせた。やはり自然は克服するものではなく、受け入れるものなのだなぁ・・・と国語の文章にありがちなヨーロッパとの二項対立を思い浮かべながら眠りについた。

そんなわけで、13時現在、見事に自分の台風によるバイト休講作戦は失敗し、そろそろ移動の準備に移っている。実に残念だ、期待すべきではないと思いながらも期待してしまうのが人情。台風すら情を失ってしまったのだろうか。

それはそれとして、来週の月曜日から7人で北海道へのドライブ旅行。未だ免許を持たない身分からすれば何とも気楽な立場なのだが、やはり同級生の車で旅行というのは一抹の不安を禁じえないのである。別に特定の誰の運転が信用できないとかそういうわけではなく、ただ何となく漠然と不安なのだ。なんか死ぬ気がする・・・

まぁそれならそれで良いか、と半ば本気で思うのではあるが、何よりも親に先立つことだけは申し訳なく思う。あとはこの世への未練は結構あるけれど、本気で追いかける気力も無いわけで。ダメ人間です、暇な大学生は自身を腐らせるようです。腐ったみかんは捨てなければ・・・

死んだらどうなるのだろう、何てことを考えても無駄なことで、それは死んでからのお楽しみ。きっと死んだら何も残らないのだから、遺書なんか書いても仕方ないかなとも思う。遺志を継ぐことにどれほどの意味があるだろう。例えば、自分は無宗教なので、葬式をやるとしても無宗教でやって欲しいし、墓には入れて欲しくない。海にでも骨をまいてくれれば良いと思う。でももし、日本の法律によって海に遺骨をまく行為が禁じられているのだとすれば、墓に入れてくれても構わない。なぜなら死んでいるのだから、何をされようともわからないから。まさに知らぬが仏!

そういう意味では死んだ後に何をされようと関係がないのだから、必要なのは生きているうちに満足するだけ生きることなのだろうという前向きな意見を導き出してみる。今日も大したことはしていないが、DSで英語漬けやったし、昨日よりは頑張ったかもしれない。まぁこんな感じで、毎日ちょっとずつ改善していけば、そう、トヨタのようにカイゼンしていけば、きっと人生の優良企業になれるだろう。

というわけで、今日はあとはバイトと効果測定(?)の勉強を頑張ろうと思います。目標は9月18日の免許取得!これでようやく8ヶ月間にわたる長い免許戦争に終止符が打たれるのです。でもやる気しない・・・早く旅行行きたい。。。

ところで「旅行に行く」という言い方はもしかして「腹痛が痛い」「骨折が折れた」の類にならないのだろうか、あと「犯罪を犯す」もおかしいはず!意外と日常に間違った使い方というのは蔓延しているのか、それとも自分がそういったことに疎いだけなのか。就活を意識してそろそろまともな日本語を使えるようにさらに意識していこう。