アルマーニのスーツ

昨日のイベントのあとの夕食会で「女子は成人式のときに振袖20万くらいのをもらうらしいよ」ってのを聞いて、驚いたの何のって。20万円・・・バイトだったら200時間分・・・恐ろしい。でももらう側はラッキーだな。

男性は振袖は着ないので、スーツだそうです。もらえること自体驚いたけど、もらえるならもらいます。来るものは積極的に受け入れ、出るものは断固阻止する。その精神は常に変わることはありません。

父曰く「20万円相当だったらアルマーニのスーツが買える」だそうです。ブランドには疎い自分だけど、ビジネスの本を読んでいると、エリートが着ているのがたいていアルマーニ。とりあえずすごいことはわかった。今自分が着ているスーツも相当なものだけれど・・・

ブランドものを着るってどうだろう。渋谷を歩いている何も考えてなさそうなダランとした格好をした若者がブランドのカバンとか服とか着ているのを見ると軽蔑する。自分で稼いだお金なんだろうか。きっと違う。貢物か、贋物か、親にねだるかがほとんどじゃないだろうか。もし違ったら、渋谷を歩く若者を見る目が180°変わるけれど・・・

ブランドはふさわしい人が身につけてこそふさわしい。それこそガングロ(もう死語かな…?)で金髪の若い女性が振袖を着てても、なんらかわいらしさなんてないし、成人式で馬鹿騒ぎする若い男性がアルマーニのスーツを着ていても、バカなボンボンでしかない。

高い目標を持って、自分で稼いだお金でブランドを身に着けるなら、それは推奨されてしかるべきだと思う。形から入るのも大切だ。

日本人のブランド好きは世界でも類稀なるものだ。じゃあ彼らがそれにふさわしい人間かと問われれば、ほとんどがそうではないだろう。高校生がプラダのバッグ?ヴィトンの財布?ふざけるな。

ブランドは持つものであって、持たれるものではない。それは確かに認めざるを得ない。ただ自分がそれを持つのにふさわしい人間かどうかを最初に自分で検討すべきだろう。その時点の自分を検討対象にする必要はない。高く明確な目標を持ったのであれば、その場所にたどり着いたときのものを買うのも全然良い。

じゃあ自分は一体どうなのか。まだ最高のブランドにふさわしい人間じゃない。少なくとも社会的地位という面ではそうだ。だから仮に宝くじに当たっても、アルマーニのスーツを買うことはないだろう。買ってしまったら単なる成金のバカだ。でも自分には大学在学中に大きな計画がある。その計画がスタートしたら、アルマーニとまではいかないまでも、それなりの格好をしようと思う。今の青山の軽量スーツじゃなくて、社会的に一目置かれていて、さらに自分にあったものを。それは意識を高める効果がある。

仕事をはじめたら、絶対に安いスーツなんか着ない。それはプロとしての意識からだ。確かに教員が高いスーツを着る必要はないだろう。だが、プロとして、外見にも気を使う必要があるんだということを意識したい。小学校教員がよく、体育の授業の後に、そのままジャージで他の授業を行うことがあるが、あんなのはプロとして絶対にあってはならない。その場その場で適正な格好をすべきだ。フォーマルな場、つまりビジネスの場では常にそういった点にも気を配るべきであり、経費節減のためにスーツを安いものにするなんてことは自分のプロとしてのプライドを同時に削っていることになる。

だから自分は絶対に軽々しくブランドに手は出さない。ブランドを使うときは必ずそれが必要である(と思っている)時だけだ。今自分がしっかりしたものを持っているのは、ビジネスバッグと名刺入れくらいだ。それらは塾講師のバイト(将来への備えとしてやっているので、意識だけはプロのつもり)やサークルで企業の方々と会うときに使う。

結局何が言いたかったのだろう。日本人のブランド志向が気に入らなかったのかな。わからない。でも何だかすっきりした笑。