ネット

最近ブログのあり方やネット世界について様々な批判と反論の応酬が続いているので、今日はそのことについてちょっと考えてみた。よく聞くのが「ネットでは本音で対応できるから良い」ということ。果たしてそうだろうか。確かにネット世界は匿名性が特徴の一つに挙げられるため、普段よりも格段に自由に意見を述べることが出来る。現実世界では色々な状況やしがらみが存在するため、完全に自由な意見を言える機会というものはあまりないかもしれない。だが、「自由な意見」と「本音」は同意義ではない。そして「自由な意見」という言葉にも語弊がある。むしろ、その匿名性ゆえに「無責任な意見」に近い。全ての状況に対応できる意見などはほとんど存在しない。状況に応じて対応も変わってくるわけで、その個人の状況も知らない人が意見を主張したところで、聞いた方も受け入れるのは困難だ。もちろん、ネット上で殺人計画や自殺の誘い、犯罪計画などをしているところに「間違っている」という場合などは、状況に関係なく正しい意見である。そもそも文字だけで個人の真意を伝えることは難しい。ネットとは限られた映像とほとんどの文字によって伝えられる情報伝達手段であるために、直接交渉に比べて情報伝達の正確性が格段に劣る。その劣った意見同士をぶつけ合ったところで、和解が成立する可能性は極めて低く、ましてや心底反省するなどと言うことはほとんど期待できない。そのネットの無力さから誹謗中傷などが行われることがあり、そしてそれを本音と言う人がいる。だが、そんなものは「本音」ではない。ただ相手を傷つけ、己に屈服させたいと言う欲望を満たすための主張でしかなく、それは「本音」ではなくて、むしろ「本能」と言うことができるだろう。各状況や理性を通さずして主張される意見ほど、無責任かつ無意味なものはない。逆に、ネットは状況を把握しにくいものであるために、入り込みやすい世界でもある。現実世界の厳しい関係から解き放たれることが出来るからだ。だからこそ、ネット世界は所詮虚構であり、深入りしてはならない場所であるということを念頭に置いて行動しなくてはならない。ネットの世界であったことに対して、本気で対応しようとしても、それは無駄に終わってしまうことが多いと考える。意見交換が本物の価値を持つのは、現実世界での対応なのである。と、ちょっと偉そうに述べてみました。。。