好きなことと嫌いなこと

清水が、「自分の魅力が何だかわかりますか」と訊いていた。それとは少し違うが、自分の

長所なら一つ挙げられる。それは、好きなことを頑張ること。そして逆に、欠点の一つは、

嫌いなことを避けること。(誰でもそうじゃないか)と言う感じもするが、それはひとまずお

いておこう。好きなことを頑張ることの代表は、やはり歴史の勉強だ。そして嫌いなことを

頑張らないのは、生物の勉強だ。歴史は頑張ったから今は書かないとしても、生物はひどか

った。中高通じて1回だけ警告点を取ったことがあるが、それが生物だった。何故嫌いだっ

たのだろうか。それは海野先生の授業が退屈だったことも大きいが、何よりも興味を抱けな

かったことが原因だろう。そうして勉強せずに期末に望んだ。するとその結果は惨憺たるも

のだった。当時学校に来ていなかった相沢に圧倒的に負けた上に、なんと下から2番目のブ

ービー賞を取ってしまった。その時は海野先生に頼み込んで、何とか部活に出席できるよう

にしてもらったが、(これでは次も警告点を取ってしまう)と切実に感じたため、真面目に勉

強することにした。火曜日のテニスコートの練習を欠席させてもらって、生物の勉強をし

た。サブノートも真面目にやった。そのときの定期考査では、恐らく歴史に次いで二番目に

勉強した教科だったろう。しかし結果は・・・歴史は頑張ったかいあってトップレベル、だ

が生物はあれほど勉強したのに平均点をギリギリ下回ってしまった。。。この差は何なのだ

ろうか。自分としてはかなり出来たと自負していたのにこの結果。当時は部活に出られるこ

とが嬉しくて全く考えもしなかったが、今はおかしく思う。考えた結論としては、やはり嫌

いなことは嫌いだと言うことだ。嫌いなことを後ろ向きな気持ちで頑張ったとしても、つま

り「今度警告点だったら大変だ」という興味でなく、危機感から来る気持ちを原動力として

努力したとしても、結果はついてこないのだ。それなりの結果は来るかもしれないが、良い

結果は残せない。さっき「努力しても」という言葉を使ったが、それ自体が間違っているか

もしれない。後ろ向きな気持ちで行った頑張りは努力ではないのだ。前向きに頑張るからこ

そ結果がついてくるのだし、努力するからこそ良い結果が出せるのだ。では今の自分はどう

だろうか。大学に入って専門的な、しかも大好きな史学の勉強が出来る状況にある。だが、

努力しているか。単位を取ることが第一目標になっていないか。それではまともに勉強でき

ない。人に教えられるほどの能力は身につかない。努力すると言うことは難しいことだが、

やらなくてはならないことでもある。嫌いだから、難しいからといって避けていては何も変

わらない。最初は良い結果を求めなくても良い、だんだんと努力へ向かえば良い。出遅れて

しまったが、必ず追いついてみせる。好きなことでは負けたくないから。