試験制度からの考察

大抵の学生にとって、試験とは苦痛である。試験自体というか試験に向けての勉強が辛いの

だと思う。きょうみのある教科は問題ないが、利用価値が少なかったり、ただ単位のためだ

けに取った科目に関しては非常なる苦痛を伴う。(試験なんてなければ良いのに)と思う人も

多いことと思う。しかし、人間は基本的に何か期限のようなものがないと堕落していく生き

物である。普通の人に関して言えば、試験がないのに勉強する人間がいるだろうか。興味の

ある教科や将来に直結する教科は放っておいても大抵の人は勉強するだろう。だがそれ以外

の教科は勉強しないはずだ。だから試験制度は存在する。決して苦しめるために存在してい

るのではない(結果的に苦しんでいるのであるが…)。問題は小中学校、特に小学校における

試験である。小学生はわざわざ試験に向けて勉強したりはしない。むしろ中学受験組を除い

て勉強などしないだろう。だから世間で言う「落ちこぼれ」が出てくる。するとその勉強が

出来ない生徒は勉強に対する興味関心を失っていく。彼ら自身は意識していないが、それだ

け将来の可能性が低くなってしまうのだ。それを防ぐには教師による補講しかない。普通、

どんなに勉強が出来ない人でも、出来ないものが出来るようになった事に対しては感動を覚

えるだろう。それが自主的な勉強につながっていくかもしれないし、今後の成績にも関わっ

てくる。すると今度は彼の将来の可能性が一気に広がるのである。今、学生の学力低下が問

題になっているが、それは基本的に教師の怠慢に原因があるのではないか。教師から言わせ

れば、「勉強だけ教えれば良いわけではないので、補講をやる余裕がない」ということにな

るかもしれない。しかし、教師の役割は生徒の将来への自立を助けることにある。そのため

に労力や時間を惜しんではいけない。それが出来ない人は教師になるべきではないのだ。教

師は「稼ぐ手段」として選んではならない。意欲を持って選ばなくてはならない。そうでな

い人間に、人の人生を左右させることなどあってはならない。