好き嫌いの自由と自己制御

人間には他の人を好きになる自由も嫌いになる自由もある。人を好きになることに理由はい

らないが、嫌いになるには理由と覚悟が必要だ。見た目が嫌い、性格が嫌い、言い方が嫌

い、生理的に嫌い・・・などなどさまざまな嫌い方がある。それは仕方のないことだ。自分

だって聖人君子ではないので嫌いな人はいる。嫌いな人と積極的に関わりたいと思う人は普

通いないだろう、むしろ関わりたくないはずだ。けれども、向こうから話しかけてきたと

か、班が同じになったとかいうやむを得ず関わらなければいけない時に、露骨に「嫌い」と

いう態度をとるのはどうだろうか。相手に「お前のこういうところが嫌で嫌いだから治せ」

と言った方が良いとまでは言わないが、せめてそれなりに普通の反応をするのが人間として

の、大人としての基本ではないか。自分はまだそのことを完全には実施できていないが、気

が回る限りではそうするようにしている。出来るならばどんな人間でも受け入れられるよう

な大きな器でありたいが、そうはなれていない。

自由は自分を律することが出来る者にだけ与えられるいわば特権だ。自分の感情も制御でき

ないような人間に、人を嫌いになる自由などないし、まして悪口を言う権利は与えてはなら

ない。陰でコソコソ悪口を言うのは悪い、だが本人の気持ちも考えずに匿名性を利用して直

接残虐な言葉を浴びせるとは卑劣極まりない。嫌いであるのは仕方ないかもしれない、だが

それならば関わらないようにしたらどうなのか。そんなことすらわからない幼い人間が(恐

らく同級生に)存在するとは驚きであり、残念であり、気分が悪い。最悪だ。

もっちーの日記と烏龍茶のコメント欄を見て思った。