試合

久しく経験していない、真剣試合。でも闘うのは後輩達。今日は2コしたの後輩達の引退大会一回戦だったのです(1名除く)。午前10時から上板橋の城北だった。相手は聖学院らしい。寝坊して試合が始まって5分位してから到着した。そのときはまだ0-0だった。

前半はうちのペース。完全にゲームを支配していたとは言えないが、押していた。何本か決定的なチャンスがあったが、全部外した。1回トラップすれば、間違いなく入ったようなシーンも、緊張からだろうか、ダイレクトでシュートし、キーパー正面だったりした。そんなことを繰り返し、結局前半は終了した。

このような流れは良いようで良くない。押すだけ押していて点が取れないときというのは、有利である反面、先制されると一気に崩壊する可能性があるからだ。

その予想は、見事に的中してしまった。後半半ば、ペナルティエリア内でファールを取られ(レッドカード級)、PKになる。それを決められて、先制点を奪われる。それまで良い展開をしていただけに、逆に焦りが出てくるし、意気消沈する。そして、さほど時間を置かずして2点目の失点。これは痛い。サッカーの場合は野球やバスケットと違って、点があまり入らないスポーツである上に、頑張っても1点ずつしか詰めていくことができない。

しかも、攻勢に転じなければならないときに、FW成田が負傷退場、DFの体力も限界に近付く。もともと体格的に不利である渋谷は、こうなると厳しい。層が薄いというのもある。さらに相手は無理して3点目を取りに行く必要はないので、じっくり時間を掛けてボールキープに入る。すると、追っかけなければならないので、もっと体力が必要になる。すると攻撃に必要な体力が減っていく・・・という悪循環。

結局、後半に惜しいチャンスがいくつもあったものの、無得点に終わり、試合には敗れた。相手の態度が悪かったのが気に食わなかったが、結構良い試合だったと思う。そして試合の流れ次第でどうなっていたかわからない試合だった。

負けて、相手ベンチ、大会本部、自陣ベンチに挨拶を終えた選手達は、グラウンドに崩れた。肩を静かに震わせるものもあれば、声を上げて泣くものもいた。彼らも6年間闘ってきたのだ。その闘いに終止符が打たれた。しかも納得できたり、諦めのつくような内容ではない、当然だろう。だが、その姿にひどく感動させられた。

彼らはこの試合に限らず本当に良くやったと思う。多くの部員にとって決して近くはない登戸に通いつめ、きつい合宿に耐え、厳しい指導を受け続けてきたのだ。それだけでも賞賛に値する。出来ればそこに勝利の華を携えて欲しかったが、それでも良い。本当に頑張った、今日はゆっくり休んで欲しいと思う。

真の強さとは?

サッカーに限らず、全てスポーツのの試合において、勝敗を決定付けるのは基本的に実力である。もちろん、主力選手が食中毒で全員入院中とか、試合中に怪我をするなど、多少の偶然性も関わってくるのだが、実力の影響に比べれば大したことではない。

では、その「実力」とは一体何か。普通そこで思いつくのは、サッカーで言えば個人技術(パスやドリブル、個人のディフェンス対応など)やチーム戦術(ライン統率や攻撃展開など)だろう。それが上手い方が勝つと思われることが多いし、実際にもそうだろう。

だが、「実力」で劣るチームが上のチームに勝つことも往々にしてある。そこには偶然性が大きく関わっていることもあるが、自分はその「実力」の中の一部分が強く作用したと考える。

それはメンタル面だ。精神的強さというものは、勝負事において、技術系実力に並ぶほどに重要なものである。誰しも「メンタルの部分は大事だよ」ということは認識しているだろう。漫画などでも「気持ちの強いほうが勝つ」なんて台詞は吐いて捨てるほどある。

しかし、多くの場合、その「メンタル」とは、つらい練習を重ねてきたという自負であったり、強い仲間意識であったりする。そしてその「メンタル」は自然に培われたものであって、意識してつくられたものではない。漫画のスラムダンクやシュートでもメンタルトレーニングが行われているシーンを見たことはない。

では、重視されていながらも何ら対策の採られていないメンタルとは一体どんな位置づけなのかを自分なりに考えてみた。

メンタルとは、例えて言うならば土壌である。そして技術系実力が樹木である。メンタルという土壌の上に実力の木が立っているのだ。しかし、その土壌は不思議なもので、やせた土壌であっても立派な木が育つこともざらにある。つまり、メンタルは「実力の」基礎であるが、技術系実力を育てるというだけならば必ずしも必要なものではない。

土壌が弱くても、木が立派であれば、それなりに強く見えるものだし。多くの場合はそれで誤魔化すことが出来る。立派な木の根元はきっと強いだろうと思う。だが、そうではない。

勝負における実力とは、木の立派さではなく、土壌を含めた強さであり、倒れにくさである。土壌だけ強くても、木が弱ければすぐに倒れてしまう。技術系の実力が基本的にものを言うことには変わりはない。だが、土壌が崩れてしまっては、どれほど立派な木であっても、むしろ逆に立派であればあるほど倒れやすいのだ。

今回の試合において、渋谷は圧倒的とは言えないまでも、木の大きさでは勝っていた。しかし、わずかな差だ。だからその少しの差を最大限に活かして、前半は相手を倒すことは出来なかったが大いに押した。

しかし、後半の失点がキッカケとなり、土壌の大部分が崩れてしまったと思う。声を上げて、必死に倒れないように戦っていたものの、やはりぐらつく。そして2点目の失点。これは壊滅的な打撃を与えてしまっただろう。サッカーで同等の実力を相手に少ない時間で2点を詰めるのは至難の業だ。相手に崩されただけでなく、無意識のうちに自分達で土壌を崩していた。

この勝負を分けたのは、明らかにメンタル的な部分だ。1点を失ったからと言って、技術的には追いつくことは決して難しいことではない。ただ、焦りや不安がその技術すら奪ってしまった。

真の強さとは、メンタルと技術が共に高い位置にあることを言うのだろう。しかし、今の時代では、特に部活の下層部分では、メンタルが意識されることはほとんどないし、トレーニングなんて尚更だ。本当にギリギリで強くなりたいのであれば、時間を惜しまずにメンタル面の練習を重ねるべきだろう。そうでないと、実力的には負けるはずのない相手に負けることが十分にありえるのではないかと思う。

そしてこれはスポーツに限ったことではない。受験然り、ビジネス然り、教育然りだ。我々はもっとメンタル部分を重視しなくてはならない。